日本と麻の縄文から続く6000年の歴史と伝統

縄文時代から現代に至るまで、日本列島では麻が重要な役割を果たしてきました。

ここでは、麻が日本と日本人の歴史と文化において、どのような役割を果たしてきたのか、そしてどのように進化してきたのかを詳しく探ります。

麻は衣料、祭事、医療など、日本人の生活の多くの面で中心的な素材となっていました。

この長い旅路を通じて、麻が日本文化に与えた影響と、現代社会における麻の新たな可能性を探ります。

人類と麻との関わりは極めて古く、紀元前6,000年にまで遡ると言われています。

日本列島でも、縄文時代の遺跡から出土した繊維製品が、麻との最古の絆を物語っています。

以降、麻は日本人の生活に深く根付き、時代とともにさまざまな用途で活用されてきました。

本記事では、古代からの歴史的経緯を辿りながら、麻が日本文化の中核を支え続けてきた軌跡を紐解いていきます。

【縄文からの麻-生活必需品としての活用】

麻が日本列島に伝わったのは極めて古い時期と考えられています。

人類が麻を利用し始めた正確な年代は定かではありませんが、少なくとも紀元前6,000年頃の新石器時代から麻が活用されていたとされています。

佐賀県吉野ヶ里遺跡で、遺跡から出土した縄文早期(約6000年前)の土器の内面に、麻の繊維が使われた痕跡が確認されています。

国立歴史民俗博物館の研究では、この繊維が確かに麻であることが判明しました。

つまり、日本列島で麻が織物の材料として利用されていた証拠が、6000年も前から存在することが分かったのです。

北海道狩場スエ貝塚について この縄文晩期(約2500年前)の遺跡から、長さ約13cmの麻糸が出土しました。

この麻糸は複数の撚り麻糸を撚り合わせて作られた製品で、当時の縄文人の高度な製糸・製織技術を示す資料となっています。

酪農学園大学の研究によりこの事実が判明しました。

東京都町田市の縄文時代後期(紀元前300年頃)の遺跡から出土した土器に付着した繊維もあります。

縄文人は麻の丈夫な繊維を、狩猟採集具の縄や網、衣服、袋などに幅広く利用していたことが分かっています。

弓矢や網には麻ほど強くて加工のしやすい天然繊維はなく、彼らの生活を支える重要な資源だったのです。

このように、確実な考古学的証拠から、少なくとも紀元前6000年の縄文時代には、日本列島で麻が生活に活用されていたことが明らかとなっています。

しかし一方で、この時代に麻が薬用として利用されていた形跡は発見されていません。

【弥生から奈良へ-麻産業の発達と精神文化への浸透】

弥生時代(紀元前300年頃~紀元300年頃)に入ると、稲作の開始により定住生活が一般化し、麻の生産と加工がより本格化しました。

麻産業が発達し、麻繊維製品が身近な生活必需品として普及していったのです。

弥生時代の遺跡からは、麻を原料とする縄や綱の生産の形跡、麻織物の存在が確認されています。

日本で最古の麻布が出土した岡山県操作浜遺跡(3世紀頃)では、人々が様々な麻製品を日用品として活用していたことがうかがえます。

麻織物の伸縮性に富む機能性から、労働着などに利用されていた可能性が高いのです。

弥生時代には、豊富な供給と実用性の高さから、麻は人々の暮らしに不可欠な存在となり、物質文化の中核を担うようになっていったと考えられています。

しかし、この時代にも麻の薬用利用の記録は残されていません。


麻が薬用として認識され始めるのは、次の奈良時代に入ってからでした。

奈良時代(710年~794年)に入ると、麻は仏教の影響を受け、単なる実用品の素材を超えて、精神的・宗教的意味合いを持つようになったのです。

法隆寺の創建経緯を記した「法隆寺伽藍縁起」(711年頃成立)には、麻が”水々し緑の麻”と表され、仏教の教えにたとえられ、清らかで高尚な存在として捉えられています。

その一節は以下の通りです。

水々し緑の麻の如く、煩悩の垢を払ひ捨て、円満無瑕の光りを放つ

この表現は、仏教の教えを麻に例えて説明したものです。

「水々し緑の麻」とは、麻の新芽が清らかな緑色で潤いに満ちているさまを指しています。

これが「煩悩の垢を払い捨て」、つまり世俗的な欲望や煩わしい思いから離れ、「円満無瑕の光り」すなわち完全無欠の境地に達することを、仏教の悟りにたとえて表現しているのです。

要するに、麻の新芽が清浄で穢れのない姿であるように、仏教の教えに従えば煩悩から解放され、理想的な存在になれると説いているわけです。

このように、奈良時代の仏教文献の中で、麻がその潔白な姿から「清らかで高尚な存在」として扱われ、仏教の教えの比喩に用いられていたことがわかります。

当時の人々が麻を尊ぶ対象として高く評価していた証しと言えるでしょう。

このように、麻は法要やお参りの際に使用される聖なる素材と位置付けられ、法隆寺からは僧侶の袈裟の一部と推定される麻織物が出土しています。

 

奈良時代の仏教文化の中で、麻は物質以上の精神的存在として神聖視され始めたのです。

【平安期の高級麻織物文化から室町期以降の地方産業へ】

平安時代(794年~1185年)に入ると、麻はますます発展を遂げました。 気候との相性の良さと機能性の高さから、麻織物が上流階級の間で珍重され、高級麻織物文化が花開きました。

当時の日記『更級日記』(1025年頃)には、上質な麻が「白木綿(しらゆふ)」と呼ばれ、貴族の衣装に使われていた記述があります。

夏物の装束には麻織物が好んで使用され、麻の通気性と吸湿性が高く評価されていたのです。

都を中心に藍染めや絣(かすり)編みなどの技術が発達し、美しい風合いの高級麻織物が生産されるようになりました。

生産者層の確立とともに供給量も増え、麻織物文化は一層花開きました。

平安時代には麻織物が貴族社会に浸透し、華やかな文化の一部を彩ることになったのです。

室町時代(1336年~1573年)以降の近世期に入ると、麻は一般民衆の生活に広く浸透していきます。

各地で麻産業が発達し、麻作は基幹産業の一つとなりました。奈良、三河、相模などが主要産地として発展しました。

各地域で伝統的な機織り技法が根付き、地域色豊かな麻織物が生まれるようになりました。

絣編みや藍染めなど加工技術も進化を遂げ、曳馬、下関、石州など各地で麻紐細工産業も盛んになりました。

麻は永く日本文化の中核を支え続ける存在となり、地域の伝統工芸品の主要素材としても確立されていったのです。

【麻の薬用利用と民間薬】

麻が正式に薬用利用されるようになったのは、室町時代以降の中世期以降と考えられています。

民間の薬用植物書には、麻の利用例が徐々に記載されるようになります。

16世紀に入ると、中国の本草学の影響を受けた薬用書が出版されるようになり、麻の各部位の薬効が解説されるようになりました。

特に『本草綱目』(1596年)では、麻の種子や根の薬効が詳しく説明されています。

麻には、利尿作用や鎮痛作用、便秘改善作用などがあると考えられ、民間療法では下剤や整腸剤として利用されてきました。

また、麻実油にはビタミンEが多く含まれていることから、肌荒れの予防や治療に使われる例もありました。

このように、日本では一般的な麻の薬用利用が広まったのは中世以降と考えられますが、民間療法での活用例は古くから存在していたと指摘されています。

民間療法における麻の活用例については、主に以下のようなことが古くから行われていたと指摘されています。

  1. 麻実の利用 麻の種子(麻実)には、良質な油が含まれています。この麻実油を外用薬や軟膏の材料として用いる例が多くみられました。 特に湿疹や皮膚炎、虫さされなどの外傷に麻実油を塗ることで、鎮痛・消炎作用が期待されていました。
  2. 麻繊維の利用 麻繊維そのものを利用する例も存在します。例えば、創傷部に麻布を当てて保護することで、出血の止血や汚れの防止を図っていました。 また麻糸で縫合糸を作り、傷口を縫う際に使う例もあったようです。
  3. 麻渣(あささ)の利用麻を製糸・製織する過程で出る廃材の麻渣を、湿布薬や狸薬(生薬の塊)の材料にする例がありました。 麻渣を熱湯に浸して温湿布にしたり、粉末状にして外用薬として用いたりしていました。
  4. 麻茶の服用 民間療法では、麻の実や茎葉を乾燥させた麻茶を服用する例もみられました。 これには利尿作用や解熱作用が期待されていたようです。

このように、麻の種子から茎葉、廃材に至るまで、民間療法ではその一部一部を上手に活用する知恵が存在していたと考えられています。

一方、痛み止めや意識改革作用といった現代でも知られる大麻の薬理作用については、日本での古い文献での明確な記載は見つかっていません。

こうした経緯を経て、現代に入るとともに麻の薬用利用は次第に制限されるようになりました。

しかし近年、麻から抽出したCBDオイルが注目を集めるなど、麻の新たな可能性が見直されつつあります。

【終わりに】

以上のように、麻は日本列島に極めて古くから伝わり、人々の生活に深く根付いてきた植物です。

実用品の素材として私たちの生活を支えてきただけでなく、時代とともに精神文化の中にも麻は浸透し、日本文化の重要な一部を担ってきました。

現代に入り一時は薬用利用が制限される動きもありましたが、環境配慮の高まりとともに麻の魅力が見直されつつあります。

伝統と先端技術の融合により、未来に向けて麻とヒトの新たな関係が創造されようとしています。

日本人と麻の悠久の歴史は、これからも続いていくことでしょう。